以前に、従業員が作り出した顧客リストやノウハウについての不正競争防止法上の取り扱いについて、考えてみました。そのときに、従業員の記憶に残っていた情報を従業員が利用する行為については、従業員の創作であるかどうかとは別に考えるべきではないかと書きました。従業員が会社で教わった(示された)技術・ノウハウなどを体得していて(記憶していて)、それを転職や独立後に利用したら、不正競争防止法の営業秘密の侵害行為となるのかということです。
このような情報を残留情報と呼ぶそうで、NDA契約などで受領側の従業員の記憶に無形的に残留した情報(残留情報)を秘密情報の例外とするよう求められることがあります。ですから、従業員との間で何らかの契約を締結していて、残留情報を秘密保持の対象としないことが定められていれば、その情報を利用しても問題はありません。逆に、従業員の残留情報の利用を制限するように取り決めることもできるでしょうが、退職した後の職業選択の自由との関係で限界があるとされています。
契約上の問題は上のようになるのでしょうが、不正競争防止法上の残留情報の取り扱いについては、あまり検討されていないようです(南部朋子「判批」茶園成樹ほか編『商標・意匠・不正競争判例百選(第2版)』206-207頁(2020)。南部朋子弁護士は残留情報の利用について職業選択の自由に配慮すべきことをのべておられ、裁判例をいくつかの類型に分類しています。a) 明確な認識可能性要求型(営業費秘密であることが明確に認識できるのであれば使用不可)、b) 媒体への可視化要求型(aの一種)、c) 秘密管理不可能型(記憶については管理できない)d) 並存型(営業秘密の側面と個人的な情報としての側面がある)、e) 不正開示・使用の否定型(営業秘密を使用したことを推認できない)、f) 損害賠償減額型といったところでしょうか。詳しくは解説を読んでいただくしかないのですが、こうしてみると、それなりに多くの例で残留情報の使用が許されているようにもみえます。
もっとも、元従業員の記憶(残留情報)だから不正競争にならないと言っているわけではありません。まず、従業員の認識可能性は営業秘密の秘密管理性要件にかかわるので、秘密であることが理解されるように管理をしなければならないことは明らかです(上記a及びb)。明確に言語化できないようなものであれば、認識可能性を確保することは難しいでしょうし(上記c)、一般的なスキルや技術のようなものであれば、営業秘密を使用したとも言いにくい場合が多いと思われます(上記e)。この場合には、非公知性の要件でも問題になるかもしれません。どの要件の問題なのかはともかくとして、それなりに納得はできそうな印象もあります(もしかしたら、企業側の訴えが無理筋のようなケースもあったのかもしれません)。
残留情報ではあっても営業秘密に該当するのであれば秘密を保持しなければならないということに変わりはないと思います。ただ、営業秘密であることが分かりにくかったり営業秘密性を否定されるでしょうし、その範囲が一般的なスキルなども含めて過度に広範だったりすると転職・営業の自由との関係で調整されてしまうのだと思います。
結局のところ、企業としては、従業員の認識可能性を高めて秘密管理性を確実なものとし、誓約書を取り付けるなどして契約によっても守秘義務を課すという基本が大事なのではないでしょうか。その際、秘密とする情報の範囲を企業の利益との関係で合理的なものとしておくということでしょう。
それでも、取引先リストのうちの一部が記憶に残っていて独立した元従業員が接点をもっていたとか、もともとの技術情報を抽象化・一般化したうえで派生技術を利用しているとかいった場面はでてくるかもしれません。このような場面が純粋な残留情報の問題になるような気もします。ただ、立証の問題も含めて営業秘密の侵害とするのはなかなかに難しいように感じます。このような場面では、合理的な範囲・期間の競業避止義務を課すことを含めて対応策を考えるしかないかもしれません。