1. はじめに
音楽は、人の心を和ませてくれたり、励ましてくれたりするものです。生活のいろいろな場面で音楽CDを再生したり、歌を歌ったりするのをみかけます。その一方で、音楽の著作権がどのように扱われるのかも気になるところです。著作権法の演奏権は公に演奏する権利です。そのほか、上演権や展示権といった権利も「公に」する場合に問題になるものです。音楽だけに限らず、著作権法を学習するにあたって広く問題になる「公に」という要件について少し整理してみました。
2. 「公に」とは
「公に」については、著作権法にはっきりと定義がされています。すなわち、公にとは、公衆に直接見せ、または聞かせることを目的としてという意味です(著作権法22条(以下、著作権法は省略))。注意すべきは、行為者の主観的な目的の問題だということです。ですから、直接聞かせることを目的として路上で演奏すれば、誰も見ていなくても「公に」演奏したことになります。なお、非営利、無料、無報酬で行われる演奏権、上演権などは著作権の制限規定により、著作権侵害とはなりません(38条1項)。
3. 公衆の概念
このように、公にとは公衆に直接見せ、または聞かせることを目的とするということですが、この定義のなかの「公衆」とはどのような意味でしょうか。一般的には、公衆は不特定多数の人々をさすことが多いようです[1]。ただ、著作権法の公衆には、特定かつ多数も含まれることになっています(2条5項)。このことから、著作権法の公衆には、不特定少数も含まれると解されています。なぜそうなるのかは少し分かりにくいのですが、「不特定多数」と「特定多数」は多数者ですから、これらだけが公衆だとするならば、(公衆という概念を使わずに)単に「多数者」と表現すればよいことになります。著作権法がわざわざ「公衆」という概念を使っているのは、単に多数者だけではなく、不特定少数も含まれるからと考えることができるのです[2]。
言い換えれば、特定少数は公衆ではないということになります。ですから、公衆なのか否かの判断には、特定なのか不特定なのか、少数なのか多数なのかを検討しなければなりません。
3-1. 特定なのか不特定なのか
そこで、特定者と不特定者の区別なのですが、裁判例では、人的結合関係の有無で判断するものがあります。例えば、音楽教室事件控訴審では、演奏者(教師)と生徒との間に個人的な結合関係に着目し、教師の演奏については公衆に対して行うものとして演奏権侵害を認めています。誰でも音楽教室の受講契約を締結できるので、生徒の個人的特性には着目されておらず、個人的な結合関係はないということになるからです(知財高判令和3年3月18日判時2519号73頁)。そのほか、NTTリース事件(東京地判平成16年6月18日判時1881号101頁)も個人的な結合関係の有無に着目しているということです。
他方で、社交ダンス教室事件では、著作物の公衆に対する使用行為に当たるか否かは、著作物の種類・性質や利用態様を前提として、著作権者の権利を及ぼすことが社会通念上適切か否かという観点をも勘案して判断するのが相当であるとされており(名古屋地判平成15年2月7日判時1840号126頁)、総合考慮により判断がされているようです。そのほか、幸福の科学事件(東京地判平成25年12月13日裁判所Web)も総合考慮によるということです[3]。
学説では、事前の人的関係の強弱によって区別されるという見解が多いようです。例えば、「特定」とは、「行為者との間に個人的な結合関係があるものを指すとされる。『家庭内その他これに準ずる限られた範囲内』(30条1項)という場合の人的結合関係よりも弱いものも含まれる」などとされます[4]。もっとも、特定とは「人的な結合関係が強い場合を指すと解されるが、固定した概念ではなく、各条文、あるいは具体的事例に応じた社会通念に従う相対的なものである」ともされており、事案に応じて柔軟に考えるべきということではあるようです[5]。
これに対しては、個人的な結合関係の有無を一律の判断基準とすべきでないという見解もあるようです。この見解では、私人の活動の自由に配慮しつつ、法が保護する著作権者の利益を害するか否かを、具体的な事案における行為者とその相手方との関係に照らして判断すべきとされています[6]。上述した音楽教室事件の百選解説でも、「公衆」の要件は、著作権者に市場を通じて利益を得る機会を確保すべき場面か否かを判断するものであるとして、「少なくとも演奏権に関しては、結合関係の有無よりも著作物の利用を享受する者を広く募集している点がより決定的とも思われる」と評しています[7]。近時はこのような考え方が有力のように思います。
3-2. 少数なのか多数なのか
次に、少数・多数の問題です。こちらも一義的には定めることはできないようです。ですから、〇〇名以下であれば許容されるといった線引きをすることはできません。一般的には、著作物の種類と行為態様によって相対的に決定されるとされています[8]。例えば、著作物の発行(3条)における「公衆」は、数十人から数百人以上の人であり、上演権・演奏権における「公衆」は4〜5人でもよいと解される余地があるなどと説明されています[8]。他方で、「結婚披露宴の余興で素人が歌う場合にはかなりの数の来賓がいても多数ではないとされる可能性が高いであろう」といった例も示されていたりします[9]。結局、少数・多数の判断については、特定・不特定以上に分かりにくいというしかなさそうです。
4. まとめ
著作権法の公に(特には「公衆」)について整理してみましたが、あまりすっきりとした形にはなりませんでした。事案によって、不特定と多数のいずれが争点となるのかも違ってくるということもあるのでしょう。ただ、これら二つの概念を区別して判断することにあまり拘泥する必要はないのかもしれません。裁判例では、「入会金の支払やサービスの登録で誰でも著作物の利用を享受できる場合には、『公衆』に対する利用と判断されていることが多い」ということです[10]。法の趣旨・目的から著作権者に市場における対価回収の機会を確保すべきなのかという観点から総合的に判断すべきという見解に惹かれるものを感じました。